未来へ語り継ぐ「使命」に生きる 大津波3.11未来への記憶

イントロダクション

それぞれの土地には、いくつもの人の物語が残された。

震災直後から撮り続けた世界初の3D映像に被災地の魂が宿っている。

津波でみぢかな人を亡くしながらも、数秒、数センチという不思議な偶然に導かれて、奇跡のように生き残され、あのできごとを伝える使命を感じている人々。
3年たった今、ようやくカメラの前で語り始めた、次の世代に語り継ぐ「未来へのメッセージ」。
未曾有の惨禍の中で、いのちと希望を見つめて生きている人々の「津波と人の物語」。

津波と人の物語

陸前高田(米沢さんの物語)

陸前高田(米沢さんの物語)

3月11日朝、家族全員が集まり赤ちゃんを真ん中に写真を撮った。妻が実家から戻ってのお宮参りだった。米沢さんの両親は、両手にはじめて初孫を抱いた。
その3時間後、両親は指定避難場所で犠牲に。米沢さんは三階建てのビル屋上で津波にのまれたが数センチの差で生き残った。無人の荒野となった陸前高田で、米沢さんはビルの保存を決意。娘はいま三歳になった。震災を風化させないためにも語り継ぐ証拠がいる。かつての暮らしの唯一の記憶を個人で残すつもりだ。

気仙沼(菅原さんの物語)

気仙沼(菅原さんの物語)

港に近いかもめ通りで酒屋を経営。握りあった手を放した瞬間に、夫は津波にさらわれた。満天の星と上弦の月を見ながら物干し台で夜を過ごした。火災が発生し、漁船が次々に流されてきた。翌朝、助けを求める菅原さんの姿を、ヘリコプターから新聞社のカメラマンがとらえた。夫への思いを綴った手紙が「日本恋文大賞」となる。1年3か月後、夫の遺体が発見された。津波の象徴ともなったあの大型漁船が漂流したかもめ通りは消えたが、生き残った二人の息子と仮店舗を再開した。

宮古市田老(松本さんの物語)

宮古市田老(松本さんの物語)

住民の四割が流された昭和大津波の直前に田老で生まれたミヤさんの「津波の申し子」のような人生。万里の長城にも例えられた大防潮堤の建設と共に育ったミヤさんは、二重の防潮提を故郷の誇りと感じてきた。しかし、日本一の防災の町に生きる安心は、平成大津波で再び砕けた。夫と建てた観光ホテルは、国の震災遺構第一号として保存されることになった。ミヤさんはいま改めて「津波と闘ってはいけない、ただ逃げるんだ、逃げるしかない」と訴える。

南三陸町(佐藤さんの物語)

南三陸町(佐藤さんの物語)

悲劇の舞台となった南三陸町防災対策庁舎。屋上に避難した多くの職員が予想を超える大津波で流された。町で写真館を営む佐藤さんは、津波が寄せる前からその瞬間までを自問自答しながらカメラに収めた。記録することが自分に課せられた義務と考えた。衝撃的な映像は、世界にあらためて津波の猛威を伝える決定的な一枚となった。佐藤さんは、その後の町の希望を求めて新しい歩みを始めた。子供たちに希望と津波の真実を語りつたえる覚悟である。

釜石(巡視船きたかみの物語)

釜石(巡視船きたかみの物語)

工業都市釜石は長い年月と予算をかけ、ギネスブックに載る湾口防波堤で守られていた。地震直後に出航した巡視船きたかみは、陸に津波が到達する前に津波を受け、そのすさまじいエネルギーに翻弄された。目の前で防波堤は崩壊。海上で津波来襲を体験した航海士や船長の証言が、知られざる津波の真実を伝える。